わざとらしいこと、嫌いです。人目を引くような文章を書いて、読んでくれる人がいなければこの文章がムダなように、そりゃあ、聴く人がいなければ音楽は成立しません。
それでも「こんなポップな曲書く俺、天才でしょ?」とドヤ顔で演奏されるのは好きじゃない。ときには先人に対するリスペクトのない借用さえ感じてしまって。
そのメロディーを選んだことに彼なりの必然性があればいいけれど、「お前らが好きな曲を演奏してやる」という態度がにじみ出ているのは気持ちよくない。誰かが喜ぶ曲を演奏する、確かに大切です。でもそれは自分自身の中から自然に出てきたものでないとウソになる。大げさに言えばだますことになるかもしれません。
Nav Katze(ナーヴ・カッツェ)のアルバムを聴いています。
ドイツ語で「神経質な猫」を意味する名を冠したこのバンド、主に80年代後半から90年代にかけて活躍した女性デュオです。
最初はポリスに影響されたスリー・ピースで、ムーンライダーズの岡田徹も関わっていたとか。それからドラマーが脱退。以降はよりトラッド色、ワールド色を強め、アンビエント、テクノに向かっていく。リミックス・アルバムにはエイフェックス・ツインも起用されています。
88年のTVライヴをYouTubeで観ることができます。彼女らの音楽は誠実な気がします。自分のやりたいことを、ただ淡々と演奏している。純粋に研ぎ澄まされていく。
この感じは例えば、たまが日常の陰を照らし出すあの感じ、あるいはsyrup16g『Free Throw』で「翌日」が永遠になる瞬間。
薄暗い中できらめく淡い光。
最近のバンドだとどうでしょう。
例えばやはり女性スリーピースのCRUNCH。
岐阜のフェスでのライヴ映像をYouTubeで観ることができますが、たたずまいも似ていて、それこそNav Katzeと同じ80年代後半のポストパンク・バンドにみえる瞬間もあれば、今の時代でしかありえない空気も感じられます。
あるいは、活動初期はCRUNCHと同じ名古屋で活動していた長野のOGRE YOU ASSHOLE。
フォークから、ブルーアイド・ソウル、アフロ・ファンク、あるいは全て、時に何かしら、同時に何もない。大正から昭和にかけての街角、あるいは近未来のどこかの都市、うらびれたバーでかかっていそうな、そんな音楽。
普遍性。個人的な感覚を掘り下げると結局はそこへ行きつくのだと思います。
それでも「こんなポップな曲書く俺、天才でしょ?」とドヤ顔で演奏されるのは好きじゃない。ときには先人に対するリスペクトのない借用さえ感じてしまって。
そのメロディーを選んだことに彼なりの必然性があればいいけれど、「お前らが好きな曲を演奏してやる」という態度がにじみ出ているのは気持ちよくない。誰かが喜ぶ曲を演奏する、確かに大切です。でもそれは自分自身の中から自然に出てきたものでないとウソになる。大げさに言えばだますことになるかもしれません。
Nav Katze(ナーヴ・カッツェ)のアルバムを聴いています。
Nav Katze『新月』(1991) |
最初はポリスに影響されたスリー・ピースで、ムーンライダーズの岡田徹も関わっていたとか。それからドラマーが脱退。以降はよりトラッド色、ワールド色を強め、アンビエント、テクノに向かっていく。リミックス・アルバムにはエイフェックス・ツインも起用されています。
88年のTVライヴをYouTubeで観ることができます。彼女らの音楽は誠実な気がします。自分のやりたいことを、ただ淡々と演奏している。純粋に研ぎ澄まされていく。
この感じは例えば、たまが日常の陰を照らし出すあの感じ、あるいはsyrup16g『Free Throw』で「翌日」が永遠になる瞬間。
薄暗い中できらめく淡い光。
最近のバンドだとどうでしょう。
例えばやはり女性スリーピースのCRUNCH。
岐阜のフェスでのライヴ映像をYouTubeで観ることができますが、たたずまいも似ていて、それこそNav Katzeと同じ80年代後半のポストパンク・バンドにみえる瞬間もあれば、今の時代でしかありえない空気も感じられます。
あるいは、活動初期はCRUNCHと同じ名古屋で活動していた長野のOGRE YOU ASSHOLE。
フォークから、ブルーアイド・ソウル、アフロ・ファンク、あるいは全て、時に何かしら、同時に何もない。大正から昭和にかけての街角、あるいは近未来のどこかの都市、うらびれたバーでかかっていそうな、そんな音楽。
普遍性。個人的な感覚を掘り下げると結局はそこへ行きつくのだと思います。