直接間接問わず、ジョイ・ディヴィジョンから影響を受けたアーティストは多い。近年でもホラーズやトーイ、バンド名から分かるアイスエイジ、それにパーマ・ヴァイオレッツやサヴェージズ等、挙げ出せばきりがない。30年以上の歳月を経てなお彼らの生み出した音楽が支持されているのは何故だろう。2008年にはオリジナル・アルバムがリマスター再発されたが、2014年には「アン・アイディアル・フォー・リビング」がリマスター12インチ・レコードとして復刻された。このEPは彼らの初リリース作であり、パンクから彼ら独自の音へ移行する過渡期を捉えている。
中心人物であるイアン・カーティスは、しばしば他人の心情を察することができない代わりに、誰も気に留めないような世界の細部を知り、それを曲のモチーフとした。練習でメンバーが偶然弾いたフレーズから選び取り構成した曲に、ストックしていた断片的な歌詞を乗せる手法で、強烈なインパクトを与える曲を生み出していった。EP1曲目の「ワルシャワ」でイアンは「弱さ、過ち、冷酷な事実、矛盾、全てを見通せる」と歌い、最終曲「フェイリャーズ」では「別の種族であり、唯一の存在」と宣言する。これら勢いのあるパンク・ナンバーの他に、呪術めいたインストが続き、曲の半ばから叫びのようなヴォーカルが加わる「ノー・ラヴ・ロスト」、不穏なベース・ラインが全編をリードし、独裁者の演説のようなヴォーカルが響く「リーダーズ・オブ・メン」が収録されている。
前述の歌詞によれば、イアンは「自分は別の種族であり、他人と異なる感性を持っている」と考えていたのかもしれない。精神病や異端であることに常に深い興味を示した彼の苦悩の根本には「生まれつきこだわりが強く、人と相容れない」、「他人の気持ちを推し量ることができない」ことがあったのではないだろうか。妻、デボラ・カーティスが書いた伝記『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』における彼の言動、行動に関する記述を読むにつけ、筆者は個人的に推測する。イアン・カーティスは自閉症スペクトラムの範疇に入る人物だったのではないかと。彼が選び出す独創的なフレーズ、突飛なライヴ・パフォーマンスはその特性に起因するものだったのかもしれない。そしてその特性は様々な日常生活上のトラブルをも招いた。(自閉症スペクトラムは、あくまで特性であり、その程度は千差万別、本人や周囲が困らなければ病気として扱わないものであることを、偏見を防ぐためにまず断っておく)。
普段のイアンは穏やかで礼儀正しい青年だった。デボラは「彼が誰かを憎んでいるというのを聞いたことがない」と語る。障害者の就職支援センターで働き、利用者一人一人のことを真剣に考えていた。他人の欠点に寛大で何事も否定しなかった。飼い犬を可愛がり、道端のホームレスに自分の食べようとしていたパイを与え、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』を妻に読み聞かせながら自ら泣き出すような繊細な魂を持っていた。その一方で、頑固でこだわりが強く、異様な執着心を見せ、自分が興味あることについてはとても優しくなれたが、興味がないことにはとことん冷淡になったという。手先が不器用だといって家事には一切関心を示さず、かつ、やらない。バンドにおいても、ギターのバーナード・サムナーに内緒で「彼は下手だからもう一人ギターのメンバーを加えよう」と皆に提言した(バーナードは激怒した)。また、TV局のお偉いさんに迫って出演を勝ち取ろうと絶えず考え、従わないメンバーに苛々していたという。極端な考えに固執し、他人がどう思うかに考えが及ばない。
そういった行動パターンの原因と考えられるのが、自閉症スペクトラムの人々が持つ「選択的注意の障害」という特徴である。他の人々と比べて雑多な情報の中から必要な情報だけを絞り込むことが困難、つまり目の前の情報をまるごとそのまま受け取ってしまう(生まれつき極端な知覚過敏の状態にあるともいえる)。意味のある物もない物もすべて均等に拾ってしまい、その結果、膨大な情報にさらされて全体把握に至らない。よく意味も分からないまま相手の言うことを素直に信じてしまい断り切れない一方で、誰も気づかない細部に気づくこともある。しかしそれにこだわって極端な考えを抱きやすい。
対人関係において、コミュニケーションの全体把握が苦手だから、無断でギター・サポートを探したらバーナードが怒るという当然のことにも思い至らないし、見ず知らずの若者に突然声をかけられたテレビ局の重役が気分を害することも気にしない。そういったことが様々な対人関係のトラブルにつながったのかもしれない。しかしうまく功を奏せば誰もが気づかないことに気づき、誰もが遠慮してできないことを成し遂げてしまう。前者については話し合いの末、ピーター・フックのベースの音量を上げさせて、バンドの個性確立につながったし、後者についてはトニー・ウイルソンに気に入られ、ファクトリーからのデビューが実現した。何より練習中に他のメンバーが気づかないリフを彼は見つけ出す。それは名曲の原石だ。
他人の気持ちやその場の状況を読み取ることが苦手だったことを示すイアンのエピソードをもう少し挙げる。無名時代にオーディションに出かける際、歌を録音したテープも自作の詩のノートも何も持っていかなかった。何も示さずとも彼の外見から才能は明らかだろうと思ったらしい。ウィリアム・バロウズのサイン会にも手ぶらで行って叩き出された。彼はバロウズの著作なら全部持っているくらい大ファンだから喜んでサインしてもらえると信じていたのだ。そんなこと、著者本人は知る由もない。イアンは20才を過ぎてもなお「心の理論」をうまく通過していなかったのかもしれない。
彼はデボラの両親から非常識で身勝手だと思われていた。前者は当たっている。後者は違う。親族のパーティーで出席者をぶしつけにジロジロ見る行為からしても、彼は他人にどう思われるか想像が及ばないのだ。「心の理論」とは他者がどう思うか推察する能力であり、これを獲得していないということは、イアンは多かれ少なかれ、世界中の誰もがイアンがかっこいいと思うことをかっこいいと思い、彼が正しいと思うことを正しいと思うと信じていたということだ。だから周囲に左右されずオリジナリティーあふれた音楽を生み出せた反面、暗闇でサングラスをかけて妻の両親を引かせたりもした。自分勝手なのではない。ただ、エイリアンのようにこの世界から隔絶しているだけ。
イアンの信頼する誰かが、彼に対人関係の細々としたことを丁寧に教え、サポートすれば、彼は今も元気にやっていたかもしれない(音楽を続けていたかはともかくとして)。しかし当時は自閉症スペクトラムについての知識もまだ一般に知られていなかったし、そこまで致命的な欠陥だとは誰も思わなかっただろう。自殺も首吊りという確実な方法であり、周囲に何の予兆も伝えなかった。そもそも衝動的な行為であったかもしれない。今さら言っても仕方ない。我々がこれからできることは、彼が遺した楽曲を聴き、今も世界中で現われている同種の才能を理解することだと思う。
自閉症スペクトラムの特性は近年、精神科領域において重要なトピックスの一つとなっている。病跡学の見地では優れた芸術家(勿論ミュージシャンも含む)の中に一定の割合で存在することを始め、躁うつ病の基盤として自閉症スペクトラムが存在するケースが時に見受けられること、かつて統合失調症と診断された中に、思い込みが強すぎて妄想を抱くにまで至った自閉症スペクトラムの患者が一定の割合で紛れ込んでいた可能性、自閉症スペクトラムに基づく強いこだわりが引き金となって、呼吸苦や動悸などを伴うパニック発作を起こす不安障害のケースが増えていること(このケースはまた、脳の過剰な電気活動の結果であるてんかん発作と混同されるかもしれない)などに、筆者は強い関心を寄せている。
イアン・カーティスは実際にてんかんを患っていたのだろうが、自閉症スペクトラムの特性から社会とのずれを絶えず生じ、それに伴い癇癪を起こし、てんかん発作を悪化させていたのかもしれない。彼がジャケットの背に書いた「ヘイト(憎しみ)」の文字はそういったもどかしさを表すものだったのだろう。そう考えれば、イアンが周囲の者に見せた底知れない優しさ、無私の献身の説明がつく。彼は気まぐれでも我儘でも目立ちたがり屋でもない。ただ、他者の気持ちをうまく汲み取れなかった。本当は執拗なほど、いじましいほどに他者との交流を求めていた。うまく叶えられない苛立ちは全て自分に向き、自傷行為にまで及んだ。彼の攻撃性は他人に向かない。せいぜいバケツを被って大声でがなりながら走り回るくらいだ。ユーモラスだが当人は至って真面目だし、そんなイアンだからこそ残りのメンバー(ニュー・オーダー)は慕い、行動を共にしたのだろう。後年振り返って、ジョイ・ディヴィジョンはめちゃくちゃ愉快な体験だったと、バーナード・サムナーは語っている。
自閉症スペクトラムの特性は程度差こそあれ我々全てにある。神が人々と共にいた時代の名残であり、森羅万象を感知する霊媒の素質ともいえる。現代の情報社会において不利な特性であるにも関わらず、なぜ淘汰されないのか。それは氷河期(「アイス・エイジ」)が来たとき、少しでも多くの人を生き残らせ種を存続させるために、皆が気づかないような些細な兆候を捉える、鋭い感受性を持つ人々が常に必要だからだ。
「アン・アイディアル・フォー・リビング」は生きるための理想と訳すことができる。イアンは誰よりも誠実に生きようとしていたに違いない。だからこそ彼の意思は世界中の若者に今なお受け継がれているのだ。
中心人物であるイアン・カーティスは、しばしば他人の心情を察することができない代わりに、誰も気に留めないような世界の細部を知り、それを曲のモチーフとした。練習でメンバーが偶然弾いたフレーズから選び取り構成した曲に、ストックしていた断片的な歌詞を乗せる手法で、強烈なインパクトを与える曲を生み出していった。EP1曲目の「ワルシャワ」でイアンは「弱さ、過ち、冷酷な事実、矛盾、全てを見通せる」と歌い、最終曲「フェイリャーズ」では「別の種族であり、唯一の存在」と宣言する。これら勢いのあるパンク・ナンバーの他に、呪術めいたインストが続き、曲の半ばから叫びのようなヴォーカルが加わる「ノー・ラヴ・ロスト」、不穏なベース・ラインが全編をリードし、独裁者の演説のようなヴォーカルが響く「リーダーズ・オブ・メン」が収録されている。
前述の歌詞によれば、イアンは「自分は別の種族であり、他人と異なる感性を持っている」と考えていたのかもしれない。精神病や異端であることに常に深い興味を示した彼の苦悩の根本には「生まれつきこだわりが強く、人と相容れない」、「他人の気持ちを推し量ることができない」ことがあったのではないだろうか。妻、デボラ・カーティスが書いた伝記『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』における彼の言動、行動に関する記述を読むにつけ、筆者は個人的に推測する。イアン・カーティスは自閉症スペクトラムの範疇に入る人物だったのではないかと。彼が選び出す独創的なフレーズ、突飛なライヴ・パフォーマンスはその特性に起因するものだったのかもしれない。そしてその特性は様々な日常生活上のトラブルをも招いた。(自閉症スペクトラムは、あくまで特性であり、その程度は千差万別、本人や周囲が困らなければ病気として扱わないものであることを、偏見を防ぐためにまず断っておく)。
普段のイアンは穏やかで礼儀正しい青年だった。デボラは「彼が誰かを憎んでいるというのを聞いたことがない」と語る。障害者の就職支援センターで働き、利用者一人一人のことを真剣に考えていた。他人の欠点に寛大で何事も否定しなかった。飼い犬を可愛がり、道端のホームレスに自分の食べようとしていたパイを与え、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』を妻に読み聞かせながら自ら泣き出すような繊細な魂を持っていた。その一方で、頑固でこだわりが強く、異様な執着心を見せ、自分が興味あることについてはとても優しくなれたが、興味がないことにはとことん冷淡になったという。手先が不器用だといって家事には一切関心を示さず、かつ、やらない。バンドにおいても、ギターのバーナード・サムナーに内緒で「彼は下手だからもう一人ギターのメンバーを加えよう」と皆に提言した(バーナードは激怒した)。また、TV局のお偉いさんに迫って出演を勝ち取ろうと絶えず考え、従わないメンバーに苛々していたという。極端な考えに固執し、他人がどう思うかに考えが及ばない。
そういった行動パターンの原因と考えられるのが、自閉症スペクトラムの人々が持つ「選択的注意の障害」という特徴である。他の人々と比べて雑多な情報の中から必要な情報だけを絞り込むことが困難、つまり目の前の情報をまるごとそのまま受け取ってしまう(生まれつき極端な知覚過敏の状態にあるともいえる)。意味のある物もない物もすべて均等に拾ってしまい、その結果、膨大な情報にさらされて全体把握に至らない。よく意味も分からないまま相手の言うことを素直に信じてしまい断り切れない一方で、誰も気づかない細部に気づくこともある。しかしそれにこだわって極端な考えを抱きやすい。
対人関係において、コミュニケーションの全体把握が苦手だから、無断でギター・サポートを探したらバーナードが怒るという当然のことにも思い至らないし、見ず知らずの若者に突然声をかけられたテレビ局の重役が気分を害することも気にしない。そういったことが様々な対人関係のトラブルにつながったのかもしれない。しかしうまく功を奏せば誰もが気づかないことに気づき、誰もが遠慮してできないことを成し遂げてしまう。前者については話し合いの末、ピーター・フックのベースの音量を上げさせて、バンドの個性確立につながったし、後者についてはトニー・ウイルソンに気に入られ、ファクトリーからのデビューが実現した。何より練習中に他のメンバーが気づかないリフを彼は見つけ出す。それは名曲の原石だ。
他人の気持ちやその場の状況を読み取ることが苦手だったことを示すイアンのエピソードをもう少し挙げる。無名時代にオーディションに出かける際、歌を録音したテープも自作の詩のノートも何も持っていかなかった。何も示さずとも彼の外見から才能は明らかだろうと思ったらしい。ウィリアム・バロウズのサイン会にも手ぶらで行って叩き出された。彼はバロウズの著作なら全部持っているくらい大ファンだから喜んでサインしてもらえると信じていたのだ。そんなこと、著者本人は知る由もない。イアンは20才を過ぎてもなお「心の理論」をうまく通過していなかったのかもしれない。
彼はデボラの両親から非常識で身勝手だと思われていた。前者は当たっている。後者は違う。親族のパーティーで出席者をぶしつけにジロジロ見る行為からしても、彼は他人にどう思われるか想像が及ばないのだ。「心の理論」とは他者がどう思うか推察する能力であり、これを獲得していないということは、イアンは多かれ少なかれ、世界中の誰もがイアンがかっこいいと思うことをかっこいいと思い、彼が正しいと思うことを正しいと思うと信じていたということだ。だから周囲に左右されずオリジナリティーあふれた音楽を生み出せた反面、暗闇でサングラスをかけて妻の両親を引かせたりもした。自分勝手なのではない。ただ、エイリアンのようにこの世界から隔絶しているだけ。
イアンの信頼する誰かが、彼に対人関係の細々としたことを丁寧に教え、サポートすれば、彼は今も元気にやっていたかもしれない(音楽を続けていたかはともかくとして)。しかし当時は自閉症スペクトラムについての知識もまだ一般に知られていなかったし、そこまで致命的な欠陥だとは誰も思わなかっただろう。自殺も首吊りという確実な方法であり、周囲に何の予兆も伝えなかった。そもそも衝動的な行為であったかもしれない。今さら言っても仕方ない。我々がこれからできることは、彼が遺した楽曲を聴き、今も世界中で現われている同種の才能を理解することだと思う。
自閉症スペクトラムの特性は近年、精神科領域において重要なトピックスの一つとなっている。病跡学の見地では優れた芸術家(勿論ミュージシャンも含む)の中に一定の割合で存在することを始め、躁うつ病の基盤として自閉症スペクトラムが存在するケースが時に見受けられること、かつて統合失調症と診断された中に、思い込みが強すぎて妄想を抱くにまで至った自閉症スペクトラムの患者が一定の割合で紛れ込んでいた可能性、自閉症スペクトラムに基づく強いこだわりが引き金となって、呼吸苦や動悸などを伴うパニック発作を起こす不安障害のケースが増えていること(このケースはまた、脳の過剰な電気活動の結果であるてんかん発作と混同されるかもしれない)などに、筆者は強い関心を寄せている。
イアン・カーティスは実際にてんかんを患っていたのだろうが、自閉症スペクトラムの特性から社会とのずれを絶えず生じ、それに伴い癇癪を起こし、てんかん発作を悪化させていたのかもしれない。彼がジャケットの背に書いた「ヘイト(憎しみ)」の文字はそういったもどかしさを表すものだったのだろう。そう考えれば、イアンが周囲の者に見せた底知れない優しさ、無私の献身の説明がつく。彼は気まぐれでも我儘でも目立ちたがり屋でもない。ただ、他者の気持ちをうまく汲み取れなかった。本当は執拗なほど、いじましいほどに他者との交流を求めていた。うまく叶えられない苛立ちは全て自分に向き、自傷行為にまで及んだ。彼の攻撃性は他人に向かない。せいぜいバケツを被って大声でがなりながら走り回るくらいだ。ユーモラスだが当人は至って真面目だし、そんなイアンだからこそ残りのメンバー(ニュー・オーダー)は慕い、行動を共にしたのだろう。後年振り返って、ジョイ・ディヴィジョンはめちゃくちゃ愉快な体験だったと、バーナード・サムナーは語っている。
自閉症スペクトラムの特性は程度差こそあれ我々全てにある。神が人々と共にいた時代の名残であり、森羅万象を感知する霊媒の素質ともいえる。現代の情報社会において不利な特性であるにも関わらず、なぜ淘汰されないのか。それは氷河期(「アイス・エイジ」)が来たとき、少しでも多くの人を生き残らせ種を存続させるために、皆が気づかないような些細な兆候を捉える、鋭い感受性を持つ人々が常に必要だからだ。
「アン・アイディアル・フォー・リビング」は生きるための理想と訳すことができる。イアンは誰よりも誠実に生きようとしていたに違いない。だからこそ彼の意思は世界中の若者に今なお受け継がれているのだ。