真の意味で自分以外の他者を知る、そして知りえた何かを表現するということは本来、命がけの行為だ。デヴィッド・ボウイが「Space Oddity」で歌ったように、地球の外側からこの世界の真実を知ってしまった日には、広大な何もない宇宙で発狂するかもしれない。
このアルバムの主人公ジョー・ミークは、バス・ルーム・サウンドと呼ばれる独自の音世界を構築した、イギリスのプロデューサーである。1960年当時、他に類を見なかったオーヴァー・ダビングやコンプレッション、派手なリヴァーブ、テープ・ループを駆使したサウンドは、後世においてイギリスのフィル・スペクターとも形容された。彼は楽器を弾けないどころか譜面さえまともに読めなかったという。しかし鼻歌を録音したテープをミュージシャンに聞かせ、演奏させた音を元に多重録音し編集した。いわばラップトップ・アーティストの走りであり、今なら打ち込みで再現する音を自力で創り上げていった。対人接触を避け孤独を好む性質だった彼は、自宅録音で、より風変わりな音を探し求めた。ついには月面旅行を、宇宙空間を描き出すコンセプト・アルバムを作ろうと思いつく。音楽における挑戦とはしばしば新しい世界を創造する試みでもある。とはいえ人間が作った地上の装置で、はたして宇宙の摂理を表現できるのだろうか?
高速回転させた虫声のようなヴォーカル・ハーモニーが響く「I Hear A New World」で本作は幕を開ける。マラカスと哀愁のスティール・ギターで月の軌道をなぞる「Orbit Around The Moon」から3曲目「Moon Entry Of The Globbots」で月面のパレードに遭遇する。陽気な声と青い顔の月面人。4~6曲目にかけて彼らのラヴ・ダンス(求愛の踊り)が続く。弦楽器がとぼけた泡のような光を表現する本作のハイライトだ。7曲目「Glob Waterfall」では月の奥深くから湧き上がる滝を見る。続く「Magnetic Field」で無重力における奇妙キテレツな動きに面くらい、そして9曲目「Valley Of The Saroos」で月の谷間に住む緑色の人々に出会う。気の抜けるリズムにずるずる引き込まれて、もがいたあげく我々の宇宙船は地球に帰れなくなる。ラストの「Valley Of No Return」は穏やかでどこか安堵感ただよう結末を鳴らす。この一大スペクタクル絵巻を、ジョーはスキッフル・バンドを呼び寄せ、ホーム・スタジオで録音したという。シャボン玉の膨らむ音、ミルク瓶を叩く音、キッチンのシンクの反響音、おもちゃのピアノにブリキの太鼓。日常の音を用いて地球外の音を表現した。例えるならビール缶で作ったロケットを月面へ飛ばすような無謀な試みだ。一発録りが当たり前の時代に、各パートを別々に録音しリヴァーブをかけ歪ませ、膨らませた。全体が部分の単純な合計ではない、摩訶不思議なサウンドに昇華させていった。だが結局は経済的な理由でリリースが頓挫し、91年にCD化されるまで完全版は日の目をみなかった。
しかし彼のアイデアは時代を越えて、オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズ等、ポスト・パンク以降のアーティスト達に引き継がれた。テレヴィジョン・パーソナリティーズやゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツは表題曲「I Hear New World」をカヴァーしている。レゲエ、ダブの音作りやブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックの先駆けとも言われ、ステレオ・ラブ、エイフェックス・ツイン、ブリアルにまで影響が尾を引いていく。日本でも大瀧詠一が影響を口にし、ジョー・ミークの「Johnny Remember Me」が『ロング・バケイション』収録の「さらばシベリア鉄道」のモチーフとなっているようだ。
本作『I Hear New World』は2013年のPitchforkで8.3の高評価を受け、2012年のNMEでジョー・ミークは最も偉大なプロデューサーに選出されている。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドがジーザス&メリーチェインやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインらシューゲイザーの通底音であるとしたら、ジョー・ミークはオレンジ・ジュース以降のポスト・パンク、オルタナティヴ、テクノ・ミュージック、そしてはっぴいえんど以降のシティー・ポップスの遠い祖先と言えるかもしれない。
ところで、アルバム・タイトルを訳すと「わたしは新しい世界を聴いた」となり、視覚イメージをともなう幻聴を連想する。幻聴や幻視といった幻覚体験は自己と他者(世界)との間の境界が損なわれ、自分の考えと、他人の声など外の世界の現象との間の区別がつかなくなることによって生じる。統合失調症における幻覚は主体が能動性を失い他者から圧倒される体験である。そのため自分から能動的に何かを見ようとする視覚ではなく、受動的に何かを聞く聴覚に幻聴として出現しやすい。しかし能動性が保たれた上で自己と世界が合一する体験は幻視や、ときに芸術表現と結びつく。ドラッグによる精神拡張体験が幻視を伴いやすく、60年代のサイケデリック・ロックにつながったことは言うまでもないが、しばしばミュージシャン本人の命を奪ったことも併せて明記しなければならない。
ジョー・ミークがドラッグを用いていたかどうか、あるいは彼に統合失調症や妄想性障害(パラノイア)の予兆があったかは定かではない。しかし人工衛星の名から取られた「Telstar」という曲で1962年に全英、全米ナンバー・ワンを獲得するもしだいに人気は下降し、疑心暗鬼になった彼は、自分のスタジオに盗聴器が仕掛けられアイデアが盗まれているという妄想にとりつかれる。なんと、彼を慕い電話をかけてきたフィル・スペクターを疑い激しく非難したという。しかも彼は当時の社会では認められなかった同性愛者であった。様々な要因が絡み合い、追い詰められたジョーは1967年にショット・ガンで自らを撃ち抜いた。
それに比べて、彼に影響を受けたエドウィン・コリンズは脳出血で半身麻痺となってもなお歌い続けている。どこに分かれ道があったのか? 私は2011年のエドウィン・コリンズ来日公演を観たが、彼の息子がデュエットで参加し、足が不自由なエドウィンを彼の妻やスタッフ総出で助け、見守っていた。彼らがお互いを見る目は暖かく、こちらまでほのぼのとさせられた。人間は誰しも支えあいながら生きていく。
ジョー・ミークが創造した荒涼たる月世界。ホット・ケーキにメイプル・シロップをかけるように、エドウィン・コリンズはそこに一雫のユーモアを垂らした。彼のヒット作『Gorgeous George』は一つの成果である。その収録曲に「Out Of This World」という曲がある。セイント・エティエンヌによるリミックスには「I Hear New World」という副題が付いており、エドウィンは「正気に戻るんだ、この世界を抜け出そう」と歌っている。これはジョーにささげる曲ではないだろうか。もう一つ思い出したのだが、ポスト・パンク期のバンドR.E.M.は、かつてあるコメディアンにささげる曲を書いた。偶然にもその題名は「Man On The Moon」だった。月面旅行再び。
狂わないためにはシリアスな態度だけでなく、数グラムでもいい、ユーモアも必要だ。友人や家族と笑い合うことは、猜疑心にまみれ我を失った精神に、客観的な視点を持つための余裕を取り戻す。再び主体性を持ってこの世界を生きることができる。ドラッグよりよほどハッピーになれるのだ。今となってはジョー・ミークの自殺の原因は分からない。しかしイアン・カーティスにせよ、カート・コバーンにせよ、夭逝する数多くのミュージシャンには共通する何らかの原因がある気がする。それは案外シンプルで、それゆえに叶えがたいことだったのかもしれない。
『I Hear New World』を生命の根源たる子宮(宇宙)に例えれば、そこに次代のアーティストによるユーモアが注入され受胎した。そしてジョーの嫡子たる、様々な音楽ジャンルが生まれていった。今日ではジョー・ミークが作った楽曲は様々なコンピレーションにまとめられ容易に聴くことができる。売れなかろうが、理解されなかろうが素晴らしい音楽。あなたの存在は間違ってなどいなかった、そう伝えたい。音楽を志す前は英軍のレーダー技師であったというジョー・ミーク。もし彼が現代に生まれていたら、ネット上での音楽配信、マルチ・メディア展開にとてつもない手腕を振るっていたかもしれない。彼が見ていたのはレーダーに映る海面や月面のそのまた先、来るべきコンピューター・ワールドだったに違いないのだ。
このアルバムの主人公ジョー・ミークは、バス・ルーム・サウンドと呼ばれる独自の音世界を構築した、イギリスのプロデューサーである。1960年当時、他に類を見なかったオーヴァー・ダビングやコンプレッション、派手なリヴァーブ、テープ・ループを駆使したサウンドは、後世においてイギリスのフィル・スペクターとも形容された。彼は楽器を弾けないどころか譜面さえまともに読めなかったという。しかし鼻歌を録音したテープをミュージシャンに聞かせ、演奏させた音を元に多重録音し編集した。いわばラップトップ・アーティストの走りであり、今なら打ち込みで再現する音を自力で創り上げていった。対人接触を避け孤独を好む性質だった彼は、自宅録音で、より風変わりな音を探し求めた。ついには月面旅行を、宇宙空間を描き出すコンセプト・アルバムを作ろうと思いつく。音楽における挑戦とはしばしば新しい世界を創造する試みでもある。とはいえ人間が作った地上の装置で、はたして宇宙の摂理を表現できるのだろうか?
高速回転させた虫声のようなヴォーカル・ハーモニーが響く「I Hear A New World」で本作は幕を開ける。マラカスと哀愁のスティール・ギターで月の軌道をなぞる「Orbit Around The Moon」から3曲目「Moon Entry Of The Globbots」で月面のパレードに遭遇する。陽気な声と青い顔の月面人。4~6曲目にかけて彼らのラヴ・ダンス(求愛の踊り)が続く。弦楽器がとぼけた泡のような光を表現する本作のハイライトだ。7曲目「Glob Waterfall」では月の奥深くから湧き上がる滝を見る。続く「Magnetic Field」で無重力における奇妙キテレツな動きに面くらい、そして9曲目「Valley Of The Saroos」で月の谷間に住む緑色の人々に出会う。気の抜けるリズムにずるずる引き込まれて、もがいたあげく我々の宇宙船は地球に帰れなくなる。ラストの「Valley Of No Return」は穏やかでどこか安堵感ただよう結末を鳴らす。この一大スペクタクル絵巻を、ジョーはスキッフル・バンドを呼び寄せ、ホーム・スタジオで録音したという。シャボン玉の膨らむ音、ミルク瓶を叩く音、キッチンのシンクの反響音、おもちゃのピアノにブリキの太鼓。日常の音を用いて地球外の音を表現した。例えるならビール缶で作ったロケットを月面へ飛ばすような無謀な試みだ。一発録りが当たり前の時代に、各パートを別々に録音しリヴァーブをかけ歪ませ、膨らませた。全体が部分の単純な合計ではない、摩訶不思議なサウンドに昇華させていった。だが結局は経済的な理由でリリースが頓挫し、91年にCD化されるまで完全版は日の目をみなかった。
しかし彼のアイデアは時代を越えて、オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズ等、ポスト・パンク以降のアーティスト達に引き継がれた。テレヴィジョン・パーソナリティーズやゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツは表題曲「I Hear New World」をカヴァーしている。レゲエ、ダブの音作りやブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックの先駆けとも言われ、ステレオ・ラブ、エイフェックス・ツイン、ブリアルにまで影響が尾を引いていく。日本でも大瀧詠一が影響を口にし、ジョー・ミークの「Johnny Remember Me」が『ロング・バケイション』収録の「さらばシベリア鉄道」のモチーフとなっているようだ。
本作『I Hear New World』は2013年のPitchforkで8.3の高評価を受け、2012年のNMEでジョー・ミークは最も偉大なプロデューサーに選出されている。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドがジーザス&メリーチェインやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインらシューゲイザーの通底音であるとしたら、ジョー・ミークはオレンジ・ジュース以降のポスト・パンク、オルタナティヴ、テクノ・ミュージック、そしてはっぴいえんど以降のシティー・ポップスの遠い祖先と言えるかもしれない。
ところで、アルバム・タイトルを訳すと「わたしは新しい世界を聴いた」となり、視覚イメージをともなう幻聴を連想する。幻聴や幻視といった幻覚体験は自己と他者(世界)との間の境界が損なわれ、自分の考えと、他人の声など外の世界の現象との間の区別がつかなくなることによって生じる。統合失調症における幻覚は主体が能動性を失い他者から圧倒される体験である。そのため自分から能動的に何かを見ようとする視覚ではなく、受動的に何かを聞く聴覚に幻聴として出現しやすい。しかし能動性が保たれた上で自己と世界が合一する体験は幻視や、ときに芸術表現と結びつく。ドラッグによる精神拡張体験が幻視を伴いやすく、60年代のサイケデリック・ロックにつながったことは言うまでもないが、しばしばミュージシャン本人の命を奪ったことも併せて明記しなければならない。
ジョー・ミークがドラッグを用いていたかどうか、あるいは彼に統合失調症や妄想性障害(パラノイア)の予兆があったかは定かではない。しかし人工衛星の名から取られた「Telstar」という曲で1962年に全英、全米ナンバー・ワンを獲得するもしだいに人気は下降し、疑心暗鬼になった彼は、自分のスタジオに盗聴器が仕掛けられアイデアが盗まれているという妄想にとりつかれる。なんと、彼を慕い電話をかけてきたフィル・スペクターを疑い激しく非難したという。しかも彼は当時の社会では認められなかった同性愛者であった。様々な要因が絡み合い、追い詰められたジョーは1967年にショット・ガンで自らを撃ち抜いた。
それに比べて、彼に影響を受けたエドウィン・コリンズは脳出血で半身麻痺となってもなお歌い続けている。どこに分かれ道があったのか? 私は2011年のエドウィン・コリンズ来日公演を観たが、彼の息子がデュエットで参加し、足が不自由なエドウィンを彼の妻やスタッフ総出で助け、見守っていた。彼らがお互いを見る目は暖かく、こちらまでほのぼのとさせられた。人間は誰しも支えあいながら生きていく。
ジョー・ミークが創造した荒涼たる月世界。ホット・ケーキにメイプル・シロップをかけるように、エドウィン・コリンズはそこに一雫のユーモアを垂らした。彼のヒット作『Gorgeous George』は一つの成果である。その収録曲に「Out Of This World」という曲がある。セイント・エティエンヌによるリミックスには「I Hear New World」という副題が付いており、エドウィンは「正気に戻るんだ、この世界を抜け出そう」と歌っている。これはジョーにささげる曲ではないだろうか。もう一つ思い出したのだが、ポスト・パンク期のバンドR.E.M.は、かつてあるコメディアンにささげる曲を書いた。偶然にもその題名は「Man On The Moon」だった。月面旅行再び。
狂わないためにはシリアスな態度だけでなく、数グラムでもいい、ユーモアも必要だ。友人や家族と笑い合うことは、猜疑心にまみれ我を失った精神に、客観的な視点を持つための余裕を取り戻す。再び主体性を持ってこの世界を生きることができる。ドラッグよりよほどハッピーになれるのだ。今となってはジョー・ミークの自殺の原因は分からない。しかしイアン・カーティスにせよ、カート・コバーンにせよ、夭逝する数多くのミュージシャンには共通する何らかの原因がある気がする。それは案外シンプルで、それゆえに叶えがたいことだったのかもしれない。
『I Hear New World』を生命の根源たる子宮(宇宙)に例えれば、そこに次代のアーティストによるユーモアが注入され受胎した。そしてジョーの嫡子たる、様々な音楽ジャンルが生まれていった。今日ではジョー・ミークが作った楽曲は様々なコンピレーションにまとめられ容易に聴くことができる。売れなかろうが、理解されなかろうが素晴らしい音楽。あなたの存在は間違ってなどいなかった、そう伝えたい。音楽を志す前は英軍のレーダー技師であったというジョー・ミーク。もし彼が現代に生まれていたら、ネット上での音楽配信、マルチ・メディア展開にとてつもない手腕を振るっていたかもしれない。彼が見ていたのはレーダーに映る海面や月面のそのまた先、来るべきコンピューター・ワールドだったに違いないのだ。