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山尾悠子 - ラピスラズリ(Lapis lazuli)

山尾悠子が分からない。小説をざっと斜め読みする癖のある私には、彼女の密度の濃い、幾重にも折り合わされた物語は適さないのかもしれません。しかしそれでもなお求心力があって私を捉えてしまうのです。

良くも悪くも分かりすぎるのはつまらないです。伊坂幸太郎の小説を10年前までは読んでいました。今は読んでいません。分かりやすくエンターテインメントで面白い。でも、だからこそもういいかなとも思ってしまう。誤解ないように付け足すと彼の作品は涙が出るくらい感動したし、今も印象に強く残っています。

山尾悠子を読むのは私にとってある程度の苦行です。何人もの登場人物や、聞き慣れない固有名詞や奇怪な化け物がまず分からない。しかし、そこには未知の世界がある。長い歴史がある。決して出会うことのない女性の、深く個人的な体験がある。何より彼女は本当に真剣に必要に迫られてこの物語を書かなければいけなかった。

商業作家はそれで食っているのだから良くも悪くも量産しなければいけない。時には書きたくない話も、書きたくない要素も入れざるをえないだろう。山尾悠子にはそれがない。彼女の作品を読むのは苦痛で仕方ない。けれど細部に神が宿っていて私に寄り添ってくれる。懐かしい何か。文字通り神、ないし仏が居る。

子どもの頃、祖母の家に泊まって、仏壇のある座敷で寝て、戸棚から古い銅貨を掬い上げた記憶と通じるかもしれません。


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UNISON SQUARE GARDEN - Catcher in the Spy

なんといってもサリンジャーを思わせるそのタイトルからの連想で、村上春樹、柴田元幸による対談集『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』と村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み返してしまった。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルはブラック・ボックス。意味がわからないままで読者に引き渡すしかないと村上は語り、主人公ホールデンの語りはそれ自体で呼吸しているものだという。社会対個人、大きなシステムに抗う個人という観点よりむしろ、そういった状況下における個人の内面的混乱。それを一気呵成に吐き出すこと。そのリズム、グルーヴ感(すなわち呼吸、あるいは鼓動)こそ、この作品の本質だと語っている。 60年代以降に、社会運動と結びついて受け入れられた文脈(社会の偽善を糾弾して、自分の信念こそ正しいとする)ではなく、社会と折り合いがつけられず混乱して引きこもる僕という観点。それは 「境界性パーソナリティー」 文学から 「自閉症スペクトラム」 文学への視点の転回とも言える。 チャップマンがジョン・レノンを射殺したとき、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたという。彼は理想から外れ、世俗化するジョンを「自分の願う理想のジョン・レノンであり続けてほしいがために」殺した。ホールデンが純粋さをガラスケースに陳列するべきだと願ったように。 でも、ここで重要なのは、ホールデンは純粋さを保護しようとして(ライ麦畑のキャッチャーであろうとして)果たせなかった。子ども達にさえ裏切られたサリンジャーは山奥の小屋に引きこもる。彼は純粋さをコントロールして支配下に置こうなんてこれっぽっちも考えなかった。しかしチャップマンはそれを実行した。聖書を祭り上げた十字軍が遠い異国で異教徒を皆殺しにするように。その愚行は自分自身さえコントロールできなくなる。いや、永遠に社会から抹殺してしまうのに。 社会と折り合えない違和感、それに伴う混乱が問題なのではない。それを解消するために他者を攻撃しコントロールしようとするか、自分自身を打ちのめし傷つけようとするか。つまり他罰的であるか自責的であるかが問題なのだ。 ホールデンは後者だ。作中で何度も自らをわざと痛めつけようとする。この自傷行為の反復は今ならPTSDの症状(心的外傷、すなわちトラウマ体験の反復)と解釈できる。村上春樹は推測...

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