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ジュリー・バーン - 正気でない世界で正気を保つこと


26歳のシンガー・ソングライターJulie Byrne(ジュリー・バーン)のセカンド・アルバム『Not Even Happiness』は4年間の旅の集大成です。「Natural Blue」はコロナドの夕陽を描写しているし、「Melting Grid」は太平洋岸の北西部で暮らした日々。

音楽活動にあたって「内なる神を探している」という彼女は「真実の意味で人々とつながりたい」と語ります。


ニューヨークはマンハッタンにあるアメリカ自然史博物館は彼女にとって聖域。Pitchforkのインタビューで彼女は深海に棲むタコがバクテリアと共生するさまをインタビュアーに説明しています。

喧噪の街で彼女の歌はハーブの香り、精神安定剤のようにはたらきます。漂泊の末に彼女は昨年ニューヨークにたどり着き、セントラルパークのレンジャーの職に就きました。アヒルを救い出した話、公園の隅で眠るアライグマの親子、様々な木々が植えられた歩道。彼女が語るそういった自然描写は内なる彼女の神の反映かもしれません。

「ニューヨークは冷たい無関心な人々の街だといわれるけど、そうじゃない。みんな寛大で気配りがある。驚きと活気に満ちている。ダンスや演奏を観たり、思いがけない親切を受けた時は特にそう思います。」



と彼女は言うものの、最初の夏、スランプになって一時バッファローの実家に帰ったそうです。「Follow My Voice」はその時たった3日で書いた。アルバムで最も意義深い曲だそう。このアルバムは、人それぞれ違う、自己を超えた何かについて。圧倒的な自然の美、子どもたちの笑顔といったもの。永遠なるものだと彼女は説明します。


「父が弾くギターを聴いて育ったから私の奏法は彼の影響下にある」。父がウエディング・パーティーで演奏していたギターを17歳の時に受け継いだ。そのギターで本作も録音したそうです。

彼女は偉大な詩人たちにも影響を受けています。Leonard Cohenはもちろん、Frank O’HaraやKenneth Patchen、そしてAdrienne Rich。コンサートで配布する詩集も作りたいとか。


Tugboat Recordsより2017年2月15日に日本盤リリース予定。


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なんといってもサリンジャーを思わせるそのタイトルからの連想で、村上春樹、柴田元幸による対談集『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』と村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み返してしまった。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルはブラック・ボックス。意味がわからないままで読者に引き渡すしかないと村上は語り、主人公ホールデンの語りはそれ自体で呼吸しているものだという。社会対個人、大きなシステムに抗う個人という観点よりむしろ、そういった状況下における個人の内面的混乱。それを一気呵成に吐き出すこと。そのリズム、グルーヴ感(すなわち呼吸、あるいは鼓動)こそ、この作品の本質だと語っている。 60年代以降に、社会運動と結びついて受け入れられた文脈(社会の偽善を糾弾して、自分の信念こそ正しいとする)ではなく、社会と折り合いがつけられず混乱して引きこもる僕という観点。それは 「境界性パーソナリティー」 文学から 「自閉症スペクトラム」 文学への視点の転回とも言える。 チャップマンがジョン・レノンを射殺したとき、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたという。彼は理想から外れ、世俗化するジョンを「自分の願う理想のジョン・レノンであり続けてほしいがために」殺した。ホールデンが純粋さをガラスケースに陳列するべきだと願ったように。 でも、ここで重要なのは、ホールデンは純粋さを保護しようとして(ライ麦畑のキャッチャーであろうとして)果たせなかった。子ども達にさえ裏切られたサリンジャーは山奥の小屋に引きこもる。彼は純粋さをコントロールして支配下に置こうなんてこれっぽっちも考えなかった。しかしチャップマンはそれを実行した。聖書を祭り上げた十字軍が遠い異国で異教徒を皆殺しにするように。その愚行は自分自身さえコントロールできなくなる。いや、永遠に社会から抹殺してしまうのに。 社会と折り合えない違和感、それに伴う混乱が問題なのではない。それを解消するために他者を攻撃しコントロールしようとするか、自分自身を打ちのめし傷つけようとするか。つまり他罰的であるか自責的であるかが問題なのだ。 ホールデンは後者だ。作中で何度も自らをわざと痛めつけようとする。この自傷行為の反復は今ならPTSDの症状(心的外傷、すなわちトラウマ体験の反復)と解釈できる。村上春樹は推測

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