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OGRE YOU ASSHOLE ~ ありふれた日常を異世界に変えるサウンドトラック



モデスト・マウス、ビルト・トゥ・スピル,あるいは ヨ・ラ・テンゴ, さらにはカンといった多くの先人から影響を受けたかもしれない。しかしOGRE YOU ASSHOLEは単なる真似ではない。彼ら自身であろうとしている。間違いなく日本で最もすばらしいインディー・ロック・バンドの一つだ。しかし彼らは最新作『ペーパークラフト』では、ミニマルでメロウを意図した。最終的に欠落感、空虚な感じに聴こえるようになった。


 彼らは幾つかの日本の雑誌に語った。

 出戸学(Vo,Gt.)「無機質なフレーズを繰り返す要素とメロウで叙情的な世界観という相反する要素を結び付けようとした」。(ギターマガジン2014年11月)

  馬渕啓(Gt)「演奏は淡々と、リズム隊は同じ事を繰り返しながらヴォーカルはメロウに」。(ミュージックマガジン2014年11月)

  出戸「こういうバンドをやりたいより、こんな作品を作りたい。全員が作品に奉仕する感じ。そのためならどの楽器でもやる。例えば、ギターを弾きながら歌とベーシックをとったら、まずギターを抜く。残った音にどんな楽器でアプローチしようかと考えて曲を作りこむ」。(ギターマガジン)

  勝浦隆嗣(Drs)「本作はエレキギターは殆ど入っていない。普通はギタリストだったらギターを入れたがるじゃないですか。そういう考えはない。必要な音を入れる」。(indie issue2014年11月)

  馬渕「色んな音が入っているけど一つ一つ意味がある。より曲に合った音を選んでいる」。(ギターマガジン)

  出戸「“ムダがないって素晴らしい”は元はメロウな曲だけど、ビートを立たせて、ボンゴだけ狂ったようにテンション高くて、歌とメロディーは醒めた世界観で。表現したいことを強めるのではなく真逆の要素を入れる。着地しない感じ。アルバム全体を通してそんな感じ。歌詞の内容は世界をありのままに表現しているだけ」。(ミュージックマガジン)

  清水隆史(Bass)「批判ではなく批評ということ。声高に何かを攻撃したり、おかしいっていうんじゃなくてシニカルに距離をおいて批評する。だって自分もその一部であることは事実だから。終わった後、欠落感、空虚という感じが漂うのは出戸の元々の資質でもある。でも温度としては絶望もけっこう高い温度じゃないですか?」 (ミュージックマガジン)


(以上は音楽メディアbeehypeへ寄稿したレビューより)



世界の片隅で上手く踊れずうずくまる誰かのための音楽 

ロック・フェスや音楽イベントに限らず、友人たちと過ごす時間はかけがえのないものだと思う。しかしその帰り道で祭りの後のような、言いようのない寂しさに襲われたことはないだろうか? 私はよくある。無意識に皆に合わせて元気で社交的な私を装っていた、その疲れがどっと出るのかもしれない。奇妙な居心地の悪さ。世界への違和感

OGRE YOU ASSHOLEの新作は特にそんな気分に寄り添ってくれる。一見無駄に思える部分や、感情の余白といったものを大切にする表現。1人で粘土細工をしている風景を絵にするような、そんな音楽。レコード、カセット、パッケージの箱、イラスト、そういったモノをあつめて架空の街を作っていく。彼らの新作を聴いていると、いつの間にか、自分だけの手作りの“ペーパークラフト”の世界へ入っていく錯覚に陥る。

実際、彼らは出戸学(Vo. G.)の故郷である長野に移り住み、自然のなかに自分達のスタジオを作り、独自のスタンスで活動している。12インチ・レコードとして先行リリースされた“見えないルール”にはALTZによるリミックスも収録され、無限に続くかと思える反復リズムが手変え品変え、徐々に聴く者の脳を浸食していく。

『B2-UNIT』リリース時の坂本龍一や、彼と共鳴するコールド・ファンクと呼ばれた佐藤薫率いる音楽集団EP-4をも私は連想した。アルバムでは、メロウで穏やかなM-1“他人の夢”から続くこの二曲の歌詞で、「誰もが一緒でなくてはならず、異端が許されない、全体主義の社会」について説明される。

そこから私はさらに諸星大二郎の漫画『生物都市』を思い出した。この作品では、機械と人間が融合したアメーバ状の生命体が宇宙から飛来し、電話線などの金属を介して世界中に伝染し、めちゃくちゃに街と人々を呑み込んでいく。やがて人類が一つになり共通意思を持つに至り、争いがなくなったユートピア、生物都市が生まれる。

それに取り込まれ車や道路と一体化して動けなくなった父の助言に従い、数少ない生き残りである主人公の少年は、文明社会の産物を全て捨てて山に逃れる。この名作漫画と共通する世界観が本作で歌われている気がするのだ。

実例を挙げると、チープな打ち込みによる優しいボサノヴァのようなM-3“いつかの旅行”では《どうやらおれは楽園にいるみたい なぜなのかも いつからかもわからない》と語られ、さらに《帰りたくても これでは 動けない》と続く。

だがいくら居心地がよくてもそこはハリボテの街だ。アナログ・シンセによる一定のリズムの繰り返しに出戸の語りが乗る異色のM-6“ペーパークラフト”では、人も家も街も紙、紙、紙、と同じ主題が繰り返される。


M-4“ムダがないって素晴らしい”のMVになったクレイ・アニメでは、架空の都市で人間が不定形の粘土に取り込まれていくさまや、全てが秩序だって運営される風景が描かれているが、この曲はカリプソを思わせるビートで貫かれている。カリブ海の島々で奴隷として集められた黒人達がお互いに言葉が通じないため、踊りとリズムを共通言語として用いたのがカリプソの起源で、南米大陸を侵略した白人に対する反抗の象徴だったという。為政者には分からない暗号。OGRE YOU ASSHOLEのメンバーは皆レコードを集めているが、古いレコードを漁る内にそういったものを無意識に選び取り、その音楽の源流にある人々の心が彼らの音楽に憑依したのかもしれない。

ミニマルな繰り返しのビートは言葉よりもっと嘘の無いコミュニケーション、心臓の鼓動、胸の高鳴り、頬が紅潮するさま、胃腸の蠕動、おなかが空いてぐーと鳴るとか、単純だが大切な気持ちを表現することができる。対して無闇に多くの情報を詰め込んだ音楽はその情報量で圧倒して分かった気にさせるかもしれない。しかし「俺はこんなに優しくて金もあって会話も楽しくてだから君を幸せにできる」と大声でいわれるより、一言、「君がいないと悲しい」、あるいはただ涙がつたう微かな音、その方が伝わりはしないか? 

OGRE YOU ASSHOLEのライブは轟音の中に静けさがある。その中では1人1人と音楽との緩やかな交流があるだけで、メンバーとの会話さえないかもしれない。民族音楽のように同じフレーズの繰り返し、その隙間に日々の思いを託すことができる。風の音、鳥の声といった自然の音、大地の営みと同じで、聴く者が勝手に意味を付ければいい。輪に入れない人たちのための、部屋の隅でそっと聴ける音楽。シャンソン風の愛らしい佳曲M-5“ちょっとの後悔”で歌われているように、子どもの頃の大切な思い出をそっと包んでくれる。《嘘でも笑い合おう》と。

こうつらつらと書いてきたが、彼らは最初からそんな孤高の境地に居たわけではない。モデスト・マウスやビルト・トゥ・スピルのようなUSインディーに影響を受け、活動当初からKレーベル所属の来日ミュージシャンや元ナンバーガールの各々の新バンドと共演を重ね、Merzbow(メルツバウ)やROVOといった伝説的ミュージシャンともサシで向かい合い、ART-SCHOOLやASIAN KUNG-FU GENERATION、サカナクション、9mm parabellum bulletといった時代の中心にいるバンドとも共演し続けている。その果てに今、このスタンスなのだ。

2011年の『homely』からはトライバルな反復リズムを取り入れ、サックス、トランペット、フルートといった管楽器を導入。しだいにシティー・ポップ、AOR、チェンバー・ポップな方向へ。ミツメ、森は生きている、吉田ヨウヘイgroup、ROTH BART BARON、Yogee New Wavesといった新鋭がにぎわす現行シーンの先鞭をつけた。以前の活動拠点である名古屋でも、シラオカジョセフ・アルフ・ポルカムーンCRUNCHといったそれぞれ個性的なバンドが活動している。彼らの影響は無意識のうちに“伝染”しているのかもしれない。

かつて彼らは『homely』、『100年後』、そして本作で三部作になると語っていたが、『ペーパークラフト』のラストM-7“誰もいない”の終盤のノイズは『homely』冒頭のノイズへ繋がっているようだ。本作を聴いてから前二作を聴くとまた違った新鮮な聴こえ方がする。個人的な感想だがこの三部作全体から、私は手塚治虫の代表作の一つ『火の鳥』で描かれた輪廻、栄えては滅び未来永劫続く人類の過ちを連想した。シリーズは最終的に『現代篇』に行き着きその負の連鎖を断ち切るはずだったが、作者の急逝により未完に終わっている。

OGRE YOU ASSHOLEはパーティーの片隅、あるいは世界の片隅で上手く踊れず(立ち回れず)うずくまる誰かのための音楽を奏で続ける。彼らは安易に連帯や共感を押し付けたりはしない。けれど間違った人たちには知られないような暗号で、しかし届くべき人々には伝わるメッセージを放ち続けている。




一周回って生まれ変わってまた別の人の人生が始まる - 堀田倫代(CRUNCH)の考察

OGRE YOU ASSHOLEの3部作を聴いて思ったというか、再認識したのは、彼らの音楽は聴くひとの心を映し出す鏡だということです。例えばロールシャッハ・テストみたいに。ある人には怖い化け物に見えるかもしれないけど、ある人にはとぼけた動物の顔に見えたり。

3部作1作目の『homely』。インスト曲(「明るい部屋」)から続いて実質的な1曲目は「ロープ」だと思いますが、私は最初、楽しいキャンプの歌だと思ったんです。山の上でふもとの町を眺めながらテントを張っているって。

―― でも首吊りのロープの輪っかかもしれない。死ぬ直前に、子どものころの楽しいキャンプの思い出が走馬灯のように浮かんだのかも。ロープは大人になって離れ離れになった僕らを結びつけるのかもしれないし、生と死、過去と現在、色々なものを結びつける象徴として「ロープ」は歌われている。まさしくロールシャッハ・テストですよね。

ライブでも長尺で演奏するし、彼らにとってとても重要な曲なのは確かなんでしょうね。実際、出戸さんもインタビューで曲は色んな風に解釈できるように、時代を超えて聴かれるように工夫しているそうですし。良い音楽って大なり小なり、聴き手の心を映し出す機能を持ってしまうのかもしれない。

オウガは色々な音楽からの影響を詳しく語っていて、どれも興味深いです。「見えないルール」はCANを連想するし、実際にCANは大好きだって彼らは言ってます。ARIEL PINKも出戸さんがよく言及するけど、NEW ORDERや80年代の懐かしくサイケなエレポップ、崩れたハード・ロックみたいで面白い。インディー時代にSEに使っていた Yo La Tengoは穏やかで耳に優しい、あったかい感じ。今の季節に合います(注 原曲はSun Raの「Newcler War」)

―― クラウト・ロックやラテン、ボサノバ風など異国情緒が漂う不思議な作品だけど、特に最後の「誰もいない」だけはそういったやさしい雰囲気がありますね。

現実に戻ってきてほっとする感じ。映画館でエンドロールが流れて、皆立ち上がってこれから何食べに行こうかとか。でも逆にそれまでの曲が現実で最後の曲だけ夢なのかもしれない。ロープの話と似てるけど、死ぬ間際の人が若い楽しかった頃を思い出していて。アウトロが『homely』1曲目と同じなのは輪廻転生のように一周回って生まれ変わってまた別の人の人生が始まるんです。







 即興を交えて毎回生き物のように変化していく彼らのライヴが遂にアルバム一枚分パッケージされた。ライブハウスでの録音素材だけではなくCANのファーストのようにスタジオ・ライヴ録音と合わせて編集されたという本作は現時点での彼らのベスト・アルバムだ。嬉しくて早速iPodで聴きながら夕暮れの街に出た。1曲目「ROPE meditation ver.」は勝浦隆嗣が操るリズム・ボックスの音色から始まって出戸学の郷愁を誘う歌声が乗り、70年代のプログレッシヴ・ロックを思わせる馬渕啓のギターが空間を自在に切り裂いていく。ありふれた日常の風景が変わる。

  コーヒーでも買おうとスーパーに入ったらイヤフォンから「見えないルール」が流れ出した。機械的に反復するビートが巻き起こす音の渦、ドラムに移った勝浦とベース清水隆史が繰り出す正確無比なリズム。この曲を聴きながら商品棚を眺めていたらめまいがしてきた。レジにいる子どもが大声で泣き出したが、違和感なく演奏に溶け込んで元からあるコーラスのよう。OGRE YOU ASSHOLEの楽曲は良い意味であいまいで自然音や周囲の雑音との境界がはっきりしない。

  『ペーパークラフト』初回カセット・テープ収録のインスト「hypnotic」を聴きながら歩道を歩く。同じく『ペーパークラフト』収録の「ムダがないって素晴らしい」と3部作1作目『homely』収録の「フェンスのある家」がメドレーで演奏される。後者は前者に合わせてラテン風のビートでリアレンジされている。その狂騒が止むと2作目『100年後』から「夜の船」が始まる。これは原曲よりシンプルなアレンジ、冒頭弾き語りスタイルで始まり出戸の歌うメロディーがより引き立つ。3曲の流れによって3部作が一貫したテーマで作られたことが示されている。

  続いて彼らが全国的に注目された2007年作『アルファベータ vs. ラムダ』からトライバルなビートにアレンジされた「フラッグ」、もはやバックの演奏の激しさに出戸の朗読が埋もれてしまった「ペーパークラフト」をへて終盤9曲目の「ROPE long ver.」が流れ出した頃、気付けばすっかり陽は落ちていた。馬淵のハード・ロック風ギター・プレイにPA卓の中村宗一郎がレーザー光線のような音を加えて不思議な効果を演出する。見上げれば建設途上で放り出された国道バイパスの陸橋が要塞のようにそびえ立ち、周りはうっそうとした茂みで覆われ異世界に迷い込んだかのようだ。正確に打ち出される勝浦のドラムと、ワウ・ペダルを踏んでファンキーにカッティングする出戸のギターが合わさり、何か不気味な生き物の足音のように響き出す。

  先日名古屋でROVOとのツーマンを観た際も最後にこの曲が演奏されていたのだが、曲間に出戸が汗を拭い天井を見上げたとき、夏の野山で満天の星空を見上げる彼の姿が見えた気がした。どんなにアヴァンギャルドな演奏を繰り広げているときでも彼らの魂は故郷長野の大自然にあるのかもしれない。最後にイヤフォンから流れだした「他人の夢 (coda)」がまるで映画のエンドロールのように現実に引き戻して、気づけば私は何の変哲もない近所の空き地にいた。


以上の記事は2014年、2015年に書かれたものです。




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