Skip to main content

コーマック・マッカーシー - The Road

「誰かに幸運を祈ることさえしないだろう」と言われた老人が、「幸運の意味なんていったい誰が知っているのかね?」と問うシーンで、自分の学生時代のことを思い出した。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード 』は、終末の世界を旅する親子のロード・ムーヴィーです。

今でもそうだが、昔の私は輪をかけてコミュニケーションがとれない若者でした。善意のつもりで言ったことをよく悪意に解釈された。

医学部に入学した1年目に病棟体験があって、大学病院を小グループで回った。消化器、代謝・内分泌内科で、その頃当然医学知識は皆無。患者さんとどう会話すべきかなんて全くわからない。

60がらみの女性(仮にAさんとする)に「良くなるように祈っています」と私は話したらしい。その日のミーティングで同級生の女性が「そういわれても私はもう良くならないんですよ」とAさんが言っていたと私に教えてくれた。同級生の男性が「祈るってお前はクリスチャンか! あー、君はもう病棟歩けないな!」と私と目を合わさず怒鳴った。同級生の女性は「ごめん、やっぱり言わなければよかった」と涙ぐんだ。

祈るという言葉自体は悪い言葉ではない。彼が指摘したのは、私の言動、態度全般が「空気を読まない、他人の気持ちを推し量れない」ことだったのだと思う。私がわざとみんなをバカにして楽しんでいるのだとさえ思っていたかもしれない。

その彼が、恋人との写真を見せてくれたことがある。養老の滝に行ったと聞いて、大学のそばにあった飲み屋のチェーン店『養老の滝』かと聞いてしまい、「アホか! なんで飲み屋で記念写真撮るんだ!」と怒られた。「きれいな彼女だね」と返すと「ああ、俺の彼女だからな」と彼はふてくされていた。


こんなエピソードなんて、『ザ・ロード 』の世界観の前には塵芥ですらない。リアル『北斗の拳』というか、終末の世界に都合のいい救世主なんていない。善い者は殺されまくるだけ。

そんな救いのない世界で、救いのない世界しか知らない少年は「まあまあだよ」とつぶやく。どんな世界だろうと、まだ自分の力で世界を切り開けない少年にとっては過酷なことは変わりないから。そう表現する他はないのかもしれない。