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カズオ・イシグロ - 忘れられた巨人(The Buried Giant)

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』が10月14日ハヤカワepi文庫に。まるでノーベル賞を予見していたかのようなタイミングです。

民族とその記憶についての物語。その詳細についてはすでに多くの場所で語られていますから、少し趣旨の違う話をします。


旅する老夫婦アクセルとベアトリスが主人公ではあるけれど、旅の途中で出会うサクソン人の戦士ウィスタンやブリトン人の騎士ガウェインにもそれぞれ深い物語があります。そして村を追われたエドウィン少年の成長も大事な柱です。

戦争で足を失い厄介者扱いされている老戦士がいます。村でただ一人彼だけがエドウィン少年の戦士としての才能を見抜く。みなしごでいじめられている彼に対して、「お前は誰もが恐れるような戦士になるだろう」と告げる。

この本は、民族の対立、戦争の歴史、憎悪の連鎖と記憶についての物語ですが、同時にブリトン人の老夫婦からサクソン人のエドウィン少年へ人種を越えて何かが受け継がれる物語でもあります。

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UNISON SQUARE GARDEN - Catcher in the Spy

なんといってもサリンジャーを思わせるそのタイトルからの連想で、村上春樹、柴田元幸による対談集『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』と村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み返してしまった。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルはブラック・ボックス。意味がわからないままで読者に引き渡すしかないと村上は語り、主人公ホールデンの語りはそれ自体で呼吸しているものだという。社会対個人、大きなシステムに抗う個人という観点よりむしろ、そういった状況下における個人の内面的混乱。それを一気呵成に吐き出すこと。そのリズム、グルーヴ感(すなわち呼吸、あるいは鼓動)こそ、この作品の本質だと語っている。 60年代以降に、社会運動と結びついて受け入れられた文脈(社会の偽善を糾弾して、自分の信念こそ正しいとする)ではなく、社会と折り合いがつけられず混乱して引きこもる僕という観点。それは 「境界性パーソナリティー」 文学から 「自閉症スペクトラム」 文学への視点の転回とも言える。 チャップマンがジョン・レノンを射殺したとき、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたという。彼は理想から外れ、世俗化するジョンを「自分の願う理想のジョン・レノンであり続けてほしいがために」殺した。ホールデンが純粋さをガラスケースに陳列するべきだと願ったように。 でも、ここで重要なのは、ホールデンは純粋さを保護しようとして(ライ麦畑のキャッチャーであろうとして)果たせなかった。子ども達にさえ裏切られたサリンジャーは山奥の小屋に引きこもる。彼は純粋さをコントロールして支配下に置こうなんてこれっぽっちも考えなかった。しかしチャップマンはそれを実行した。聖書を祭り上げた十字軍が遠い異国で異教徒を皆殺しにするように。その愚行は自分自身さえコントロールできなくなる。いや、永遠に社会から抹殺してしまうのに。 社会と折り合えない違和感、それに伴う混乱が問題なのではない。それを解消するために他者を攻撃しコントロールしようとするか、自分自身を打ちのめし傷つけようとするか。つまり他罰的であるか自責的であるかが問題なのだ。 ホールデンは後者だ。作中で何度も自らをわざと痛めつけようとする。この自傷行為の反復は今ならPTSDの症状(心的外傷、すなわちトラウマ体験の反復)と解釈できる。村上春樹は推測

イアン・カーティスを想う - 時代を変える才能の功罪

直接間接問わず、ジョイ・ディヴィジョンから影響を受けたアーティストは多い。近年でもホラーズやトーイ、バンド名から分かるアイスエイジ、それにパーマ・ヴァイオレッツやサヴェージズ等、挙げ出せばきりがない。30年以上の歳月を経てなお彼らの生み出した音楽が支持されているのは何故だろう。2008年にはオリジナル・アルバムがリマスター再発されたが、2014年には「アン・アイディアル・フォー・リビング」がリマスター12インチ・レコードとして復刻された。このEPは彼らの初リリース作であり、パンクから彼ら独自の音へ移行する過渡期を捉えている。 中心人物であるイアン・カーティスは、しばしば他人の心情を察することができない代わりに、誰も気に留めないような世界の細部を知り、それを曲のモチーフとした。練習でメンバーが偶然弾いたフレーズから選び取り構成した曲に、ストックしていた断片的な歌詞を乗せる手法で、強烈なインパクトを与える曲を生み出していった。EP1曲目の「ワルシャワ」でイアンは「弱さ、過ち、冷酷な事実、矛盾、全てを見通せる」と歌い、最終曲「フェイリャーズ」では「別の種族であり、唯一の存在」と宣言する。これら勢いのあるパンク・ナンバーの他に、呪術めいたインストが続き、曲の半ばから叫びのようなヴォーカルが加わる「ノー・ラヴ・ロスト」、不穏なベース・ラインが全編をリードし、独裁者の演説のようなヴォーカルが響く「リーダーズ・オブ・メン」が収録されている。 前述の歌詞によれば、イアンは「自分は別の種族であり、他人と異なる感性を持っている」と考えていたのかもしれない。精神病や異端であることに常に深い興味を示した彼の苦悩の根本には「生まれつきこだわりが強く、人と相容れない」、「他人の気持ちを推し量ることができない」ことがあったのではないだろうか。妻、デボラ・カーティスが書いた伝記『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』における彼の言動、行動に関する記述を読むにつけ、筆者は個人的に推測する。イアン・カーティスは自閉症スペクトラムの範疇に入る人物だったのではないかと。彼が選び出す独創的なフレーズ、突飛なライヴ・パフォーマンスはその特性に起因するものだったのかもしれない。そしてその特性は様々な日常生活上のトラブルをも招いた。(自閉症スペクトラムは、あくまで特性であり、その程度は千差万別、本

栗本薫 / 中島梓 - 過ちや欠点を受容される経験はえがたいもので、そういった相互作用が世界を安定させる

「永遠の子どもであること」は文学、芸術の主要なテーマの一つだと思います。しかしアーティストが、自分自身と仲間達の私的な共同幻想のみを自己の拠り所としたら? 社会全体の共同幻想、というか人としての最低のルールを無視する、いや理解さえしていない、しようともしないとしたらどうでしょうか?  ライトノベルの始祖といわれることも多いベストセラー作家、栗本薫(評論の名義は中島梓)の本を子どもの頃よく読んでいました。 中島梓『コミュニケーション不全症候群』P322 ちくま文庫 (時代の圧倒的な流れに逆らうことはできない、という文脈に続いて) 「だが、自分自身のほうは確実に、変わることが可能である。-それも自分の力によってだ。そのことで、時代と歴史を変えることは出来なくても、時代と歴史の変貌からの圧力に対して抵抗力を保持することは可能だろう。(中略)我々は自分自身であることによってだけ、歴史や時代や社会の強制から自由であれる(中略)。歴史にまきこまれることは避けられないが、歴史に変容させられる必然性はない。時代のなかにあっても、自分自身であり続ける自由をもつこと-ないしそのための努力をすることはできる。(中略) 我々はそのためにまず、自分の置かれている環境がどのようなもので、自分が知らず知らずにかけられている時代と社会からの圧力はどのような種類のものか、そのために自分がどのように自分でなくなっているのか、よく知らなくてはいけない。」 1991年の著書『コミュニケーション不全症候群』において、彼女は、それをいみじくも「大人のずる賢さとエゴイズムを身につけた無責任な子ども」と表現しています。 それは精神医学の見地から云えば、自閉症スペクトラム(発達障害、アスペルガー症候群などを包括する概念)の素因があったうえで、他人の意図を推し量れないまま、わがままに育っていった人類と言い換えることができます。そしてこれは、後に彼女が生み出したタナトス生命体と呼ばれるモンスターに似ています。 タナトス生命体は、彼女の長編伝奇小説 『魔界水滸伝』 20巻に登場します。本作は永井豪『デビルマン』や諸星大二郎『妖怪ハンター』シリーズのオマージュであり、人間、先住者たる妖怪、そして古きものども(クトゥルー神)の3つ巴の戦いが描かれます。 クトゥルー神は本家